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使役動詞と使役されたくない私たち

久しぶりのコラムの投稿です。

皆様、年末も押し迫って参りましたが、いかがお過ごしでしょうか。

 

今日は「使役」についてお話ししたいと思います。

 

弊社は人事、人材開発で様々な会社の課題解決のお手伝いをしています。

その中で「マネジメント」や「リーダーシップ」といったテーマに関して、

階層別研修や次世代リーダーの育成という形でお手伝いすることが多くあります。

日頃「マネジメント」や「リーダーシップ」について考えている中で、

1つ思うことがあります。

 

それは・・・

「マネジメント」や「リーダーシップ」という概念が“外”を向き過ぎているのではないか?

という内省です。

 

ついつこれらの課題に助動詞をつけて、

「マネジメントする」

「リーダーシップを取る、発揮する」

になり、

組織の中で目標達成のプレッシャーなどで、ついつい無意識に

「自身のマネジメントによって、誰かを〇〇させる」

「自身のリーダーシップによって、誰かを〇〇させる」

になりかねない点があります。

 

しかし、それで本当に

「マネジメント」ができるでしょうか?

「リーダーシップ」が発揮されるでしょうか?

 

逆に、そのようにされる側の人間の立場になってみましょう。

皆さんは使役されたいでしょうか?

上司にこのような使役動詞を使われてマネジメントをされたいでしょうか?

 

恐らく、そうではないはずです。

使役されるのではなく、

ともに思いを共感し、ともに意見を出し合いながら

ともに働いていきたい、ともに成果を出していきたい、

と多くの方は思うのではないでしょうか?

 

多くの会社の多額の予算と時間を費やして、

「マネジメント」や「リーダーシップ」について施策を行っているのに、

一向にその効果や職場での発揮が見られないのは、

(マネジメントされている人やリーダーシップをされる側が)

「意欲が喚起されていない」

「業務ばかりの会話で、なぜするのか?といった根底にある思いやビジョンを知らない」

「行動しているが、やらされ感で仕事をしている」

からなのではないでしょうか?

 

大事なのは、他者をどうこうする前に自分です。

自分と他者は違います。

自分が出来ないことを他者に強要してはいけません。

他者はあなたの鏡です。

他者ができていないのは、もしかすると他者に問題があるのではなく、

自分に問題があるのかもしれません。 

 

中国古典の言葉に『修己治人』という言葉があります。

「自分自身を修めて、初めて人を治める事ができる」という意味です。

逆に言えば、自分を修めてもいないのに他人を治めることが出来ない、

ということになります。

 

今このコラムを読んでいるあなたが、

マネジメントやリーダーシップを取ることは余りなかったとしても

我々が日々

誰かに何かを依頼しようとするとき、

誰かに何かを期待しようとするとき、

ほんの一瞬でいいので

是非、自問自答してみてください。

「自分はそれができているのか?」

「自分はそれをいう資格があるのか?」

「自分は自分のためだけに行動していないか?」

「自分はその相手に敬意を持っているのか?」

 

私は「修己治人」という言葉と上記の内容を白井さんという方からお聞きしました。

彼は、ベトナムでトレーニングレストランを19年経営されてきました。

彼は、あえて社会的に恵まれない子供を採用し、育成して、

社会に送り出してきました。

 

明々後日の1218日(土曜)の10時から12時半にオンラインで

その白井尋さんをお招きして

「白井尋と感じる 本来のマネジメントの在り方 良知共鳴―寛恕―修己治人で人は動く」

と題してセミナーを行います。

https://kanjomanagement.peatix.com/

 

是非、そこで修己治人を実践してきた白井さんと一緒に、

「本来の在り方」を感じてみてください。